そんな思いを抱いている先生もいらっしゃるかと思います。間違っていることもあるかもしれませんが、間違っていないかもしれません。私が民間企業複数社を経て教員になったとき、学校での当たり前に疑問をいだいたことが多々ありました。
勤務されている学校で脈々と受け継がれる伝統、それがいつも正しいわけでわありません。一例をあげると、学級をうまくまとめられる先生がすばらしい先生だと言われたことはないでしょうか。たしかに、学級が存在すればそれは正しいかもしれません。しかし、学級そのものが必要なのかどうかというところから考えてみたらどうでしょう。学級経営に苦しんでいる際に、学級経営に関する書籍の担任に対してのアドバイスが書かれている箇所を読んでみる先生も多いかと思います。いずれの本でも学級が存在することが前提となっています(ただし、海外の事例をベースに書かれた本を除く)。教育基本法が定める目的を達成するために、学級は必要ですか?担任は必要ですか?という視点での議論は非常に少ないのです。(もちろん、教育基本法が定める目的が正しいかどうかという議論も必要ですが。)私が読んだ中では「<学級>の歴史学」という本がこのような視点をもって分析をしていました。
このように、勤務している学校で当たり前と言われていることは、本当に当たり前かどうかは定かではありません。そのため、他の先生方と考え方が違ってもすぐに改めるのではなく、あるその当たり前の環境下で勤務し続ける過程で、自分の考え方の是非を検証しつづけたほうが良いのかなと私は考えています。
参考文献
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