最近Twitter界隈で「古文漢文はオワコン」っていう話が出ていますよね?私は国公立志望なんでオワコンであろうとなかろうと勉強するんですが、やっぱり学ぶ意義が明確になっていると学習意欲が高まると思うのです。先生は古文漢文を学ぶメリットって何だと思いますか。
英語を教えている私にそれを聞く?
授業中に、古文と漢文を学ぶのが好きだと言っていませんでしたっけ?漢文を深く学ぶために中国語も少し勉強していると聞いた気がします。
よく覚えていますね!仲の良い国語の先生から古文の参考書「望月光 古典文法講義の実況中継(1) (実況中継シリーズ)」とか教えてもらって余暇の時間に読んだりしているよ。古文は助動詞と助詞が大事だよね。
本題に進もう。当たり前だけど古文漢文に限らず、全ての教科について、それを学ぶことにはメリットとデメリットの双方があると思います。今日は時間があるから少し議論しましょうか。
ぜひお願いします。今日は部活が休みなので暇なんです。
メリットとデメリットですが、今回は高校生にとってのメリット・デメリットを議論していくという認識で良いですか?
はい、大丈夫です!
古文漢文を学ぶメリット
メリット①:先人の知恵を学べる
まず一点目のメリットは、先人の知恵を学べるということだと思うよ。例えば、徒然草とか論語とかを読んで、「そういう考え方もあるんだ!」みたいに思いませんでしたか?
思いました。知識としてそれらを知ることは面白いです。でも、その考えを学んだところで何の役に立つのですか?
じゃあ、Aさんにとって役に立つことってどんなことなの?
英語とかプログラミングとかです。あとは生きていくために必要な知識、例えば、不動産を購入するときの注意点とかです。多くの人にとって人生最大の買い物は不動産だと思います。その不動産を買うときの注意点を勉強しておいたほうが、古文漢文を学ぶよりもよほど役に立つと思いませんか?
Aさんにとって、将来直接的に利用する可能性がある知識が役に立つ知識ということなんだね。
そうです。一度学んだことは仮に忘れたとしても、二度目に挑戦するときに思い出しやすいと思うのです。
それは一理あるね。ということは、学校で将来使いそうな知識を学んでおくことで、何かに挑戦する時にうまくできるようになる確率を高めたいという意識もある?
あります。
それなら、古文漢文には、生きることに関する様々な失敗談や注意すべきことも書いてあるわけだから、学ぶ意義があるんじゃないの。より多くの場面に適応可能な概念を学べるかもしれないよね。
徒然草第百二十七段「あらためても益なき事は、あらためぬをよしとするなり。」なんて、現代でも十分に通用するメッセージが含まれていると思うけどね。その企業で引き継がれてきた経営手法を時代遅れとみなし、新しい経営手法を海外からそのまま取り入れた結果として、業績が悪化している企業もあるでしょ。
たしかに。
もちろんAさんが言った、不動産を購入するときの注意点とかを学校で扱ってもいいと思いますよ。でも、古文漢文の時間を全て置き換えてそれらのことを学習する必要はないのではないかなと感じます。
先人の知恵を学ぶという点で古文漢文を学ぶ意義があると言うのはわかりました。それならば、現代文に翻訳された古文漢文を学べばいいと思います。そうしたら、授業時間を短縮できますよね。わざわざ現代文に翻訳する練習をする必要性はあるのですか?
それは高校生の時に私も思いました。次の項目で議論しましょう。
メリット②:語彙力を高められる
著名な作品は、古文であっても、漢文であっても、現代語に翻訳されおり、さらに、教訓的な内容だけを抜粋して解説をしたような本もありますよね。例えば、「仕事は「徒然草」でうまくいく ~【超訳】時を超える兼好さんの教え」のように。こういう本を読めば、先人の知恵を理解することができるから、わざわざ古文・漢文の原文を読む必要はないと考えているわけですよね。
その通りです。
でも、漢文だと現代文ではなかなか出てこないような漢字が出てきた記憶があるのだけど、それは正しい?
はい。「一再、相ひ煩はせ、頗る不安を抱く。」のような感じですよね。国語の先生に教えていただいた漢文の参考者「漢文法基礎 本当にわかる漢文入門 (講談社学術文庫)」に出ていた一文です。
英語を和訳したり、日本語を英訳したりすると、その語彙が記憶に残るように、原文を書き下し文にするという学習を通して、語彙そのものや送りがなをより効率的に覚えられるのではないでしょうか。
そうですね。ある程度は納得しました。これら2つのメリットはわかったのですが、最後にもう一つ議論したいことがあります。それは、古文漢文を共通テストの入試科目にする必要があるのかと言うことです。
メリット③:努力と点数が正比例しやすい科目である
それは、国語の問題から古文漢文を外した方が良いと言うことですか?
古文漢文を完全に外すのではなく、「200点分を全て現代文」か「100点を現代文・100点を古文漢文」かのどちらかを選択できるようにした方がいいと思います。そう思うようになったきっかけは、帰国子女入試で合格した先輩の話を聞いたことです。彼は、古文漢文を全く勉強せずに大学に合格したにも関わらず、大学の成績は抜群に良いです。大学で学ぶための力があるかどうかを試すのが入試ですから、古文漢文を勉強していなくても大学で良い成績が取れるのなら、入試科目にそれらを含める必要がないと考えています。
それは考えたことがなかった観点です。古文漢文が入試科目となった経緯をはっきりとは知らないのですが、おそらく文化と伝統の継承という視点が重視されてのことだと思うです。
文化と伝統の継承が主目的であったとします。その目的は達成されていますか?私は達成されていないと思います。入試の時までは皆それなりに勉強をするけど、大学入学後はほぼ古文漢文に触れていないですよね。だったら、最初から選択科目扱いにしても結果は同じではないですか。
そうですね。変えていく必要があるかもしれないですね。
その際に、考慮をしなければならないことは、現代文よりも古文・漢文の方が、高得点を取れる学習方法が確立されていることだと思います。国語の先生に聞いたら、古文・漢文に関しては、正しい勉強法で学べば、あまり学習時間をかけずに共通テストで8割は取れるとのことでした。
こういう発想をすると非難を浴びそうですが、古文・漢文を現代文に選択することが可能となったものの、現代文の勉強方法を確立できずに結果として国語の点数が伸びなかったとなったら、本末転倒ですもんね。
古文漢文を学ぶデメリット
デメリット①:仕事に直結する知識ではない
古文漢文を学ぶデメリットについても考えたいです。おそらくはメリットの裏返しになるとは思うのですが、私の考えを主張したいです。
ぜひぜひ思いのたけを語ってください!
古文漢文を学ぶと先人の知恵を学べるというメリットがあったと思います。これは正しいと思います。でも、私たち高校生には、それらの知識が将来の仕事にどうつながるのかがイメージしにくいのです。なので、とりあえず、古文漢文の知識が直接的に仕事で使われている場を一生懸命想像しています。
古文漢文の知識が直接的に活用される場を考えてみたけど、あまり浮かばないということですか?
古文漢文を直接的に活用できる仕事としては、研究者・教員・塾講師しか私には浮かびませんでした。研究者は極めて狭き門ですし、国語の先生になったとしても古文漢文だけを教えられるとは限りません。結局、古文漢文をどんなに頑張ってもそれが仕事で活用されるイメージが見えないのです。
じゃあ、どんな知識だったら就職に直結すると思うのですか?
高校生からでも学び始められるとすれば、法律、会計、プログラミングではないでしょうか。法律なら弁護士、司法書士、行政書士、弁理士、企業の法務担当という職業に、会計なら公認会計士、税理士、企業の財務担当という職業に、プログラミングならプログラマーやITコンサルタントという職業につながっていることが高校生でもわかります。だから、頑張ろうという気になれるのです。
デメリット②:学びたいことを学ぶ時間が奪われている
古文漢文を学ぶメリットがあるのはもちろん理解しています。それを否定するつもりはありません。でも、機会費用を考える必要があるはずです。つまり、古文漢文を勉強することで他のことを学習する時間が奪われているということです。古文漢文を学ぶ時間があれば私だったら会計を学びたいです。
会計を学んだとしても、それを将来使うかどうかは、古文漢文を将来使うかどうかと同様に未知数じゃないですか。
それはその通りです。最終的には私の納得感の問題だと思います。
会計を学だ上で、就職がうまくいかなくても、自分の歩んだ道に納得できると思うのです。自分で会計を学ぶと決めたわけですから。でも古文漢文を学んだ上で、納得のいく仕事に就けなかったら、悔いが残ると思うのです。
幅広い教養を身につけておくことは意味があるという先生もいますよね。その幅広い教養の中に、古文漢文も含まれていると思いますが、その点についてはどう考えていますか。
私たちの世代は幅広い教養なんて悠長なことを言っていられる世代ではないです。就職できるまでに私たちが使うことができる時間に関しては、全世界の同年代の子供が平等に与えられています。その時間の使い方によって未来が変わるわけですよ。台湾のデジタル担当政務委員(大臣)の唐鳳(オードリー・タン)氏のような学び方をしている方が世界にはたくさんいるわけですよ。そういう学びをしている人と勝負をするために、やりたいことに特化して学ぶ必要があると思うのです。教養も大事です。ですが、それは仕事について必要だと思った時に学べばいいと思います。
高校生なのにしっかり考えていますね。
まとめ
古文漢文のメリット・デメリットについては、全員が納得する答えはないと思います。ただ、今後も古文漢文を高校で学ぶべき科目とするならば、なぜそれを学ぶ必要があるのかを高校生に論理的に説明できる必要があると感じました。