2021年2月16日に、大阪地裁が「髪黒染め」校則及びそれを遵守させるように指導することは適法であるという判断を下しました(髪黒染め、校則・指導は「適法」名簿不記載で府に賠償命令―大阪地裁)。私はその判断に納得ができません。先生はどう思いますか?
私も思うところはあります。なので順を追ってこの問題を考えていきましょうか。
なお、今回の裁判では、地毛が黒色どうかの認定も重要な論点だとは思いますが、この観点については勉強不足なので現時点では言及しません。
私は学校法制の専門家ではないので、結城忠先生の「生徒の法的地位」を参考にしながら記事を書いています。書籍名をクリックするとAmazonのサイトに移行します。校則の問題を考える上で多くの知見を得ることができる本なのですが、現在は在庫切れのようです。
校則は守らなければいけないの?
親からも先生からも校則は守らなければダメだと言われます。でも法律との関係においてその校則が妥当なものでなければ守る必要はないと思います。そして、変えていくべきだと思います。校則とは何なのですか?
まず大前提として理解しておくべきなのは、校則はもちろんのこと、法律、そして憲法でさえも変えて良いものだということだと思います。日本の憲法は硬性憲法と言われ、改正しにくい憲法となっていますが、第96条に憲法改正の規定があるわけですから、変えることはできるわけです。
つまり校則は絶対的なものではないということですね。
その通りです。そもそも「校則」は法令用語ではないことを認識していますか。以下の文章を読んでみてください。
・・・校則については、現行法制上、直接的な法令上の根拠は存在しない。いうところの「校則」は法令用語ではない、ということを押さえておきたいと思う。
結城忠(2007)「生徒の法的地位」pp.206-207
この点、学校の設置許可の申請または届出に際して必要とされ、修業年限、・・・賞罰などを「必要的記載事項」とする「学則」(学校教育法施行規則3条・4条)とは異なる。
ますます校則というものの存在が分からなくなってきました。
普段このような点は考えないですからね。Bさんに質問なのですが、日本国憲法と校則との間で相反する内容が書かれていた時、どちらの方が優先されるべきですか?
日本国憲法ですよね。
そうです。ですから、校則について考える際に次の点を考慮することが大切になってきます。
日本国憲法下においては、生徒は学校内にあっても基本的人権の主体として存在しており、また親も子どもの学校教育について自然権的基本権としての「親の教育権」を有している。
結城忠(2007)「生徒の法的地位」p.39
でも、子供と親のあらゆる権利を認めていたら、教育が成立しなくなってしまいませんか。
そうです。そのため、本来ならば、校則という法的に曖昧な規則ではなく、法律として、学校が生徒の教育について、どのような範囲でどのレベルの権限を有するのかを明確化しないといけないはずなのです。でもそれができていないのが現状なのだと思います。
そのように法的に曖昧な部分があるにも関わらず、校則を守るように私たちが要求される根拠は示されているのですか。
はい。2つの考え方があります。
校則が生徒を規律できる根拠
根拠①:公法上の学校特別権力関係論
公法上の学校特別権力関係論とは簡単にいうとこんな感じです。
教育目的だと言えば、法的な根拠がなければ何をやっても許されるということですか。
そういうふうに捉えてもらって良いと思います。校則に関連する過去の判例ではころ理論が踏襲される場合が多いようです。かなり昔の論文ですが、「校則裁判に関する判例とその評釈」に過去の判例が掲載されています。時間がある時に読んでみてください。
根拠②:学校部分社会論
・・・学校は「国公立であると私立であるとを問わず、一般市民社会とは異なる特殊な部分社会」を形成している。
結城忠(2007)「生徒の法的地位」p.208
そこで学校は、その設置目的を達成するために必要な事柄については、法律上の根拠がない場合でも、校則等によってこれを規定し、実施することのできる自律的、包括的な機能を有している、とされる。
学校は特殊な社会だから、学校独自のルールを作ってもそれが許されるということですか。
はい、そういう解釈で良いと思います。
校則が規定できる範囲に限界はあるのか?
公法上の学校特別権力関係論と学校部分社会論を認めてしまったら、学校は法律を無視して校則を制定できてしまいませんか。
現在はそうなってしまっています。だから、生徒の基本的人権や親の教育権を無視した校則が制定され、しかも、裁判でそれがおかしいことを訴えても敗訴してしまうのだと思います。
では、現時点では、理不尽な校則だと感じても、ある程度は耐えなければならないということですね。そして、校則というものの位置付けを変えるために、法律の勉強をしてそれを変えていく必要があるということですね。
そういう状況だと思います。
髪形規則には従わなくてはいけないの?
校則というものは法的な位置付けが曖昧であるにも関わらず、裁判所ですら、公法上の学校特別権力関係論や学校部分社会論を引用し、生徒の基本的人権を十分に配慮しているとは言い難い状況であることが見えてきたと思います。
結局、髪形に関する規則には従わないといけないということですか?
どの程度の規制をかけるかにもよるでしょう。髪形の自由は、私たちに認められている自由の中で、価値序列の低いものだとみなされています。だから、現状では校則の位置付けが曖昧なので、教育目的を達成する上で、髪形に関する校則が必要だと学校が判断すれば、その教育目的の方が優先されると考えられています。とはいえ、生徒には髪形を選択する自由があるわけですから、全生徒に特定の髪形を強制するということまでは難しいでしょう。以下の条件が充足されているかどうかで個別に判断していくことになると思います。
①髪形・服装規則に学校教育上、規制を正当づける合理的な理由・重要な教育目的があり、②規制することが学校の任務遂行にとって重要かつ必要であり、かつ、③規制の様態や程度がその目的と実質的に合理的な関連性を有し、さらに、④規制することによって得られる利益が失われる利益を凌駕すると客観的に認定される場合には、髪形・服装規則は学校教育権(生徒指導権)の正当な行使として認容されると解される。
結城忠(2007)「生徒の法的地位」p.225
私たちは法律について勉強をする必要がありますね!!
まとめ
校則に関してはその法律的な位置付けがはっきりとしていません。そのため、髪形に関する校則に関して、学校に判断が委ねられてしまっている状況と言えるでしょう。