ゆとり教育は失敗だったのか?

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現場の教員の中で、文部科学省の教育政策立案に関与できる教員は少ない。そのため、文部科学省が考える教育政策に自分の意見が反映されることもまずない。結果として、提示された教育政策に従って教育を行うしかない。それは、教員の悩みの1つのように思う。教育政策を変更することはできないものの、それに対して各教員が主体的な意見を持つことは重要だと思われるので、今回は教育政策の1つであった「ゆとり教育」について考えてみたい。

ゆとり教育の目的は、生徒が自身で考える力を養うことだった。ゆとり教育は、ゆとり教育以前の教育が知識を詰め込むことを目指した教育であったため子供の試験の点数は上昇したものの思考力が養成されなかったという問題を解決するために導入された。そのため、「ゆとり」と「詰め込み」という二項対立で議論がなされることが多い。

「ゆとり」と「詰め込み」は二項対立で議論するべきことなのだろうか?

「ゆとり教育」を「実験・体験や屋外での教育を大事にした、問題発見・解決型の双方向の教育」と、「詰め込み教育」を「暗記重視による知識量の増加を目的とした教育」と定義して、このテーマについて考えていきたい。結論からいえば、私はこの二つの概念は相互依存の関係にあり、どちらか片方だけに偏った教育を実施しても、社会に出てから必要とする力を生徒に身につけさせることはできないのではないかと考えている。

「詰め込み教育」から脱却するために「ゆとり教育」に舵を切ったわけであるが、はたして知識に基づかない問題発見・解決が可能なのであろうか。私はそうは思わない。また、詰め込み教育では生徒の創造性を尊重できないとの指摘もあるが、知識なくしての創造など不可能だと思う。

2000年にiPhoneという画期的な携帯電話が発売されたが、その開発の中心的な役割を担ったスティーブ・ジョブズは、テクノロジーの知識を基に、顧客が抱える携帯電話に対する不満を見出し、iPhoneという商品を開発することで、その不満を解決した。テクノロジーに関する知識があったからこそ、iPhoneという新製品が創造されたのである。

小中学生の行おうとする問題発見・解決は、もちろんジョブズのそれとは次元が異なる。しかし、問題の発見・解決のために知識が必要でありその知識があるからこそ創造性を発揮することが可能だという点に関しては、小中学生でもジョブズでも同じなのではないか。

このように考えてみると、現在の学習指導要領が、「基礎的・基本的な知識・技能の習得」と「思考力・表現力等の育成」のバランスが重要視しているようになっていることは、当然の帰結であるということができよう。

問題解決には知識が必要なことは認めるが、必ずしも知識を「暗記する」必要はないと主張する人がいるかもしれない。しかし、私は知識を暗記する必要性を訴えたい。なぜなら、暗記することにより「脳内で時間を越えての異分野間の知識の融合が生じる」と思われるからである。

問題解決が必要なときに、インターネットや書籍を用いて情報を集め、その情報を見ながら問題解決を計ればよいのではないかと言う人もいるかもしれない。そこで、「高校の野球部を強くするためには」というテーマを事例として、この点を議論してみたい。誰かがこのテーマに取り組む時、一般的にはそれに関連した情報のみを集めるのではないだろうか。具体的には、プロ野球の選手が書いた練習理論の本を読んだり、高校野球の監督やコーチが書いた指導本を読んだりするだろう。確かに、それでもある程度の問題解決はできるだろう。しかし、この人が別の機会にたまたま経営学の考えに触れ、そのときにふと脳内で経営学の理論を高校野球の練習に活かしたら面白いのではないかと考えることで、「高校野球の練習法」と「経営学」という異分野間の知識の融合が生じ、結果としてより創造的な問題解決法が産み出されるということも考えられうる。数年前に、「もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら」という本が流行したが、この本が流行した理由の一つに、異分野の融合という観点があったことは否定できないであろう。この本は私が上述した思考したプロセスによって誕生したわけではないが、異分野の融合の成果として新たな問題解決法が誕生した例としては適当なものではないかと思われる。このように、様々な分野の知識を記憶として蓄えておくことは、問題解決時の創造性の発揮に寄与する可能性があるということができる。

以上のように考えると、「ゆとり教育」は上手く機能しなかったと言える。なぜなら、問題発見・解決に必要不可欠な知識の増強を軽視した教育だったからである。もちろん、文部科学省を責めるつもりも、その当時の先生方を責めるつもりもない。完璧な教育方法など存在しないし、やってみたからこそ明らかになる課題もあると思うからだ。先人の知恵を学びつつ、「知識の理解と増強」と「その知識を活用した思考力の養成」を両立させた授業を展開でいればと思っている。